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(ただの日記です)22。 [サッカー]

中澤選手の引退について。




引退自体は、個人的には発表を待っていた感じだったので、驚きはなかったですが・・・、同日にナラ(楢崎選手)が引退発表したほうが衝撃でした(笑)。

私は横浜フリューゲルスと合併した年にマリサポになったので、正直なところ、横浜フリューゲルスという存在は、私にとって形なきものです。
なので、1999年に所属していた時点で、マリノスの選手は生え抜きと同等の意味がありました。波戸くんとかね。
(この感覚は、ハマっ子ならではかもしれません・・・※)
ファン・サポになってすぐ、優勝したり、低迷したりしましたが、当時の私は大学生だったので、言うなれば相当イケイケであり(笑)、ゴール裏で、今では考えられないほどの熱量で応援しておりましたです、はい。
チームもお金があったのか、あの頃は、私が望む選手がどんどん移籍して来ました。←結果論。
その最たるが、ボンバーでした。
久保竜、奥くん、山瀬くん、ゆっきー、平野さん、安貞桓など。
友達と、対戦相手見て、あの選手ウチに来てくれないかなーって言った翌年移籍とか、ホント何度あったか分かりません。
だけどボンバーは当時、本当に衝撃的でした。いわば、禁じ手っていうか、その。
ライバルのヴェルディから、しかも超一流選手の移籍なんて、あり得ないことでした。
勿論大歓迎しましたが、一方で遠さも感じました(※)。
でもその後、ヴェルディはJ2落ちちゃったし、先見の明はあったのでしょうね。

ボンバーの隣には、いつも直樹がいました。
私は直樹を応援していたので・・・、よき相棒とは思っていたかなあ。
鉄壁で、安心して後ろを任せられる存在でしたが、余りパーソナリティについて興味を抱かなかったかもしれない。いわゆるAB型で全然読めない人でしたので(苦笑)。
直樹が感情剥きだしてがちゃがちゃしている一方、ボンバーは冷静でいいコンビだったと思う。
もう5~6年以上前になりますか、当時鹿島アントラーズに所属していた大迫選手に、1対1でセンター一瞬でぶち抜かれたとき、恐らく多くのサポが、「この日が来た」と思ったに違いありません。少なくとも、スタジアムの空気が一瞬おかしかったのを記憶しています。。
それでもそこから昨シーズンまで、だったら何ができるって、極力ぶち抜かれないような守り方をし、定まらない相方をコントロールしながらの仕事は、ケチのつけようがありません。
惜しむらくは、マリノスの選手で、後継者が現れなかったことです・・・。
経験が引き継がれないのは、本当に残念でならない。

・・・今時、マリノスでユニフォームを脱ぎたいと言ってくれる選手がどれだけいるか(ユース出身以外で)。
それだけで、熱いものがこみ上げてきました。
プロ中のプロ、だったと思います。
(元Jリーガー(知人)の話では、この年齢だと、次の試合までのリカバリで物凄く時間がかかるのだとか。練習の前準備だけでも大変だそうです)
・・・見えていなかった部分で、あるいは偏って見えすぎた部分で批判したり、評価を下げていた自分を恥じました。
何年か前からは、年下だけど大先輩な気分でした。
マリノスに来てくれて、続けてくれて、ありがとう。
最高のゴールとブログに書いてあった、2014年川崎F戦のボレー、今でも鮮やかに覚えています。

第二の人生も、しぶとく強く、明るくいっちゃってくださ~い!!(←おちゃらけたw)





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